第3章3-2②闘病と家族の在り方
2人目の出産
椿がフォンタン手術を受け、順調に回復し、幼稚園から小学校に通えるようになってきた頃、2人目の妊娠がわかりました。
椿も幼稚園に通うようになってから他の家族を見て「椿もきょうだいがほしい!」と、言っていた時期でした。
椿の病状も落ち着いていたこともあり、椿がきょうだいのいる環境で過ごせることは心強いことだと思っていた私も嬉しい気持ちでいっぱいでした。
産まれてきたのは、お姉ちゃんのことが大好きで、優しくてちょっとやんちゃな男の子でした。
息子がお話が上手になってきた2歳のころ、お風呂で体を洗ってあげているときに突然、
「かえくん(息子)はね、おそらからママとちゅばきをみてたんだよ。ママとちゅばきをたすけるために、ママのおなかにきたんだよ」
と、3日くらい続けて話してくれたことがありました。
3日経つとぱたりと言わなくなり、その後は自分がそう話したことすら覚えていない様子でした。
でも、きっと本当のお話だと私は信じています。
そう思えるくらい、息子は椿のことが大好きで、椿に優しくしてくれて、いつでも椿の味方でいてくれました。
2人目がいる闘病生活
椿がひとりっ子のときは、学校のことも病院のことも私がひとりで対応できていたので問題ありませんでしたが、息子が産まれてからは私ひとりでは対応できない事が増えました。
もちろん、父親とは息子を迎える期間に何度も話し合いました。
「これからは私ひとりでは難しくなるから、椿の心のフォローもしてほしいし、息子のお世話もなるべく参加してほしい」
とお願いしていましたが…
継続するのはなかなか難しかったようです。
これまではひとりでどうにかできていた事が、どうにもできなくなっていき、誰かの助けが必要になりました。
椿が入院していた病院の小児科病棟は『24時間付き添い』が基本です。
親族に付き添いの協力をあおぐのは簡単な問題ではありませんでした。
日中に3時間ほどの短時間の付き添い交代をしてもらえることはありましたが、泊まり込みでの交代は過去数えるほどしかありませんでした。
病院に泊まりこみで付き添うことは患者、付き添い人、双方にとって色々な要素でハードルが高いと思います。
ただ患者と一緒にいればいいだけで済めばいいですが、体調管理、水分管理、尿量の計測、点滴、薬剤の確認、内服薬の管理、検査の付き添いなど、入院中にしなければならないことが結構あります。
看護師と相談して任せることも可能ですが、日常的に一緒に過ごしていない人が急に入院の付き添いをするのは大変なことだと思います。
なにより大切にしなければならないのは患者のメンタルであるとみんな理解しているからこそ、必然的に母親の付き添いが必須になるのだと思います。
でも、長期入院だからこそ、母親の休息が十分にとれる環境が整うべきだと思います。
きょうだい児の居場所
椿が7歳のとき、ペースメーカーの電池消耗により、手術が必要になりました。
前もって予定し、1週間入院の予定になりました。
この頃は椿も調子よく過ごせていたこともあり、息子は日中私と過ごしていました。
そのため、当時9ヶ月だった息子は保育園などに通ったこともなく、預け先に困りました。
日中の一時預りが可能な託児所を見つけ、父親に送り迎えと夜間の世話を頼みましたが、
「自分の体調管理と仕事があるので無理」だと断られました。
子どもたちに愛情はあるのですが、育児には参加せず、自分の都合で可愛がる感じの人でした。
日頃から自分優先、休日も自分の時間優先で自由に過ごしている父親でした。
何度か話し合いましたが理解や協力が難しく、困り果て、地域の相談員に相談したところ、乳児院のショートステイを紹介してもらいました。
乳児院とは・・・
さまざまな事情で家庭で子ども(新生児〜幼児期まで)を養育することが困難なとき、家族に代わって24時間体制で養育するところです。
社会福祉法人旭川荘 旭川乳児院
子育て短期支援事業(ショートステイ)とは・・・
ショートステイとは、保護者が冠婚葬祭や病気、けがなどで0歳から2歳未満の子どもをみることができないとき、乳児院で短期間お預かりさせていただく事業です。現在は、岡山市、倉敷市、瀬戸内市とショートステイ事業の契約をし、実施しています。相談については、各在住の福祉事務所にてご相談ください。
社会福祉法人旭川荘 旭川乳児院 「乳児院について-ご利用方法-」
旭川乳児院のショートステイを利用できると教えてもらいましたが、お金(費用は福祉事務所が所得によって決定)もかかるし、息子を託児所にすら預けたこともないのに、いきなり何泊も一人で宿泊させることはできればしたくありませんでした。
父親がいるのだから父親が面倒を見るべきだと思っていましたが、かたくなに拒否され話が進まず…。
親族にも相談したのですが、9ヶ月の子どもの面倒を1週間もみれないと断られました。
それでも手術の日が近づいていくので、しかたなく、息子を乳児院にお願いすることにしました。
何もわからず施設に7日間入れられた息子。
その間、規則で息子の顔を見ることは許されませんでした。
その代わり、施設に電話をすれば息子がどのように過ごしているかを聞くことができると教えてもらい、毎日電話をして様子を聞きました。
初めは泣いてばかりで大変だったけど、3日ほど経つとだんだんと落ち着いて馴染んでいる様子だと聞きました。
そして、予定通り入院7日目で無事退院できた椿と一緒に、その足で息子を迎えに行きました。
7日ぶりに会った息子は、私の顔を見た瞬間に泣きわめき、一生懸命抱きついてきました。
本当によくがんばってくれました。
「不安だったよね、ごめんね。」と声をかけ、精一杯抱きしめました。
その日から1週間くらい、息子は不定期に癇癪(かんしゃく)を起こすようになりました。
施設で不安だった気持ち、寂しかった気持ち、苦しかった気持ち、がんばった分を吐き出すように、体全体で叫びをあげていました。
「大丈夫だよ。もう一人にしないからね。」と、息子にそう言って、自分にも言い聞かせました。
施設に預けたことはしかたのないことだし、続けていれば息子も次第に慣れてくるのかもしれないけれど、その環境に慣れてほしくはありませんでした。
なぜ息子がこんなに苦しい思いをしなければならないのか…。
父親が少しがんばれば、自分の息子の面倒をみれなくはなかっただろうし、親族にももっと無理に頼み込めばみてもらえたかもしれないのに…
息子を一人でがんばらせてしまったことに、申し訳ない気持ちでいっぱいになり、後悔しました。
でも、がんばって乗りきってくれた息子は本当にすごいし、りっぱでした。
その分、愛情を感じてもらえるように接しようと思いました。
そして、今度からは息子が一人でがんばらなくて良いように、親族のそばで過ごせる環境を用意してもらえるようにきちんと頼もうと心に決め、実行していけるようになりました。
きょうだい児にできること
椿もこの時のことはよく覚えていて、長期入院になった小学5年生から小学6年生のころには「椿がひとりでも入院できる体制作り」に協力してくれました。
こうした経験から家族の在り方、親族との関わりについて真剣に考えるようになりました。
本来なら、難病児のきょうだい児の居場所をきちんと確保できている状態が理想的だと思います。
それは母親だけでは難しく、家族、親族の助けなくしては成り立たないのだと言うことを改めて思い直し、真剣にきょうだい児の居場所を探す機会になりました。
それまでは自分一人でどうにかなる、どうにかしなきゃとやってきましたが、どんなにもがいてもどうにもならない瞬間があって、いろんな人に手を、知恵を借りながら自分たちの居場所を増やしていく必要があるのだと学びました。
でも、どうしてもそうできない場合はこういった施設を利用するのもひとつの手段だと思います。
それからの椿が入院したときの息子の過ごし方は、短期入院のときはご近所さんが交代でみてくれたり、長期入院のときは親族が交代でみてくれたりするようになりました。
息子からしたら「家族と離れて過ごす時間」だから、そこはがんばってもらわないといけないところでしたが、施設に預かってもらうより、顔見知りのご近所さんや、親族と一緒に過ごすほうが安心できる環境だったと思います。
頼ることが苦手な私は、はじめはご近所さんや親族に頼むことに申し訳ない気持ちで一杯でした。
でも、次第にご近所さんとも良い関係を築けるようになり、親族も息子の対応に慣れていきました。
息子は息子で、たくさんの人に関わってもらえて、可愛がってもらえて、良い時間を過ごせていると思えるようになっていきました。
当事者家族だけで抱え込まず、頼ったり、頼られたりできる世の中であってほしいと願います。
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3-1 ①病気と共にある生活とは
3-2 ①闘病と家族の在り方
②闘病と家族の在り方